よこすかキャリア教育推進事業
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万に一つを世に出す世界

初めて作ったラジオから、音が聞こえた。「なんで音が鳴るの?」「どこから音がくるの?」子どもの頃の不思議な体験で、たちまち電機の虜になった。大人になって、いろいろな事をやってみたけど、「僕はやっぱり電機がいいみたいだ。」と電機の世界に飛び込んだ。
研究所の技術者として働いていた二十代前半。コツコツやるのは好きだから、一日中研究室にカンヅメでも苦にならなかった。手がけていたのは、内視鏡カメラやVTR。社運を賭けた研究だから、産業スパイなんかにも目を光らせていた。万に一つを世に出す世界。四十年も前だけど僕の夢は、「かべかけテレビを創りたい!」だった。本当に好きな仕事でした。

大工にだけはなりたくなかった

技術者として、二、三年経った頃、親父が土地を手に入れた。そこに「僕の家を建てる。」と言う。僕の金遣いが荒かったからだね。若かったし。
ある日、現場に行ってみると、柱を背負って大変そうだった。担いでみたら、重たいんだよね。「こんな重たいもん持ってるんじゃ大変だな。若いもんがやれるところだけでも手伝ったら楽だろうな。」何より僕のために造ってくれているから、手伝わずにはいられなかった。ちょうど、親父は今の僕の歳くらいだった。本格的にやるつもりは無かったけど、十年くらいで前の仕事に戻ろうと思って、仕事を辞めた。でも、親父がなかなか引退しないから、気が付けば二十五年くらい経ってしまって、結局は、戻る機会をなくしちゃったよね。
小さい頃から親父の仕事を見ていたから、大工にだけは絶対になりたくなかった。親父は根っからの大工だね。ただの一度も「大工になれ」とは言われなかった。でも、電機の道に進んだ僕の事を親しい人には、「寂しい」と漏らしていたらしい。そんな親父だから、大工の道に進んでも、僕にはいい顔なんて見せなかった。

与えられた事をとことんやる

豊かで、選択肢がたくさんある中で、夢を持っている子は少ないと感じるね。でも、僕らの子どもの頃よりは無垢で素直なのは間違いない。
グループディスカッションで人はそれぞれ自分の持ち分があって、自分の持っているものを生かす何かを見つける。僕の思う適材適所の話の時、ある子が、「勉強するのが嫌だから、学校なんて来たくない。」と言った。僕は、「来たくないのなら、来なくても良いよ。」と言った。「でも、そのかわりに家にいても、何かしなくちゃならなくなるだろう。学校へ来ないで、他にやりたいことがあって、勉強より情熱を注げるものならば、周りの大人を納得させて、それを貫けばいいんだ。でも、そんなもんがないんだったら、与えられたものをとことんやるのがいいんじゃないか。」
子ども達は真剣に僕の話を聞いていた。その後、「何かやらなきゃならないんだ。」と書かれた感想文を目にした時、子どもなりに何かを受け取ってくれたんだと、ほっとした気持ちになった。

今も昔も子どもは変わっていない

ディスカッションも一回目と二回目では、大きな進歩があったよ。生徒が変わったことで、先生も変わった。それは、僕ら大人がいかに進歩していないかって事なんだな。子ども達はこれほどまでに成長するんだから、社会や大人の指導さえ良ければ、見捨てたもんじゃないと
感じたね。今も昔も子どもは変わっていない、変わったのは大人のほうで、つい大人の価値観で子どもを見てしまう。僕が育った頃とは時代が違うのは当たり前、その時代に合った生き方があると思うんだよね。

木を楽しむ、木(き)楽(らく)倶楽部(くらぶ)を今後の生きがいに

六十歳を過ぎて、やっと大工をやってよかったと思えるようになった。今は何の後悔もないね。若い人のような力はないけれど、経験と時間と心のゆとりはある。MTTを受けたのも、今の自分で良かったとも思う。今まで自分が教わった
ことを若い世代に伝えていくことできる。これからの自分の役目だと思ってね。たくさんの人達に関わってもらった恩返しのつもりです。日本人は物づくりを得意としてやってきた。その心意気を忘れて欲しくないと思うから。
MTTへの参加もそうだけど、人間、生きている限り必要とされていたい。生きがいや、やりがいを感じることが出来る今、幸せだね。

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